実りの季節




実るほど… 穂がずっしりとしてきました。
田舎はいつでも美しく花が咲き、
おいしい水が湧き、寺には人が集まり
今年最後の夏祭りには、盆踊りの輪が。

コオロギの声を聞きながら 焼きそばとやきとりを食べる。
こんなしあわせ。ありがとう。

宿題を出された。
「自分に足りないものを考えておいて」。

何もかも足りない気もするし すべて備わっている気もする。
「欲しくない」の。 向上心って言葉が好きだったのに
今はあんまり好きじゃない。 疲れてるな。年ってことか?

最近、もろ「攻」の印象の女の人を目の当たりにして
コワい…と思っちゃった。私も気を付けよう。
「受」が苦手で「攻」に回る癖がついてるのが 
いけない、あたしは。 足りないのは「受」だな。きっと。

田の苗みたく 陽も雨も風も あるがままに受けて
取りに行かず 拒まず おごらず 卑下せず 
いつか実りの季節を迎えたいものです。
フリーでフラットでしなやかで ありたいものです。

おねがいごと

新月の日は はじまりの日
お願いごとを してごらん。

毎月やってくる はじまりの日
リセットしたいなら 今だよ。

苗木の植え替えも、髪をきるのも、新しい何かを始めるのも
お月様を見ていれば タイミングがつかめる。

あたしが祈ること 
誰かのしあわせと自分のしあわせ。
つながってく ような気分で
一周してまた 戻ってくる。

秋にはきっと



「秋にはきっと こたえが出るはず」
と小雪が言う。

だといいけどね〜。
そう簡単にはね〜。 いかないよね〜。

リミットなんて決めずに 道ばたの猫のように 日々
じゃれあっていたら いいのよ。
こたえなんて いらないのよ。
はじめっから知っていたら よかったのに。

引き返すことはできないので
今日を はじめ ということにする。
今日は 0歳で 明日は 1歳 と思い込むことにする。
これでいいのだ 。 たぶん。

蝉 せみ



一斉に蝉がないていた
ふと気がつくと 今はもうないていない。
何の合図で 一斉にないて
何の合図で 一斉になきやむの?
月?

蝉の声は 夏がゆくのを惜しむみたいで
最後の力を 振り絞っているみたいで
春に桜が散るように 夏には蝉が。

クーラーなしで過ごす部屋に ほとほと嫌になっていたけれど
明日も今日の蝉が またないてくれるのか心配になる。

蝉の 脱け殻の完璧さに憧れて
脱皮したくなる 夏の終わり。

君はもう脱皮したかい?

ほらみね

こないだのバーベキューの写真をアルバムにして
ばあちゃん家に持ってった。
お礼で持っていったのに、また「じゃがいもいらんか」とか言って。
もらって帰ってたら、お礼のお礼のお礼の…ってなってまうが。
もっしぇーんやわ。

実家の地区の祭りの名前は「もっしぇーまつり」と言うんやと。
来週らしい。

実家に寄った。
白いズボンをはいていた私を見て、母は、
「白は、汚れるがぁ」と、眉をひそめていた。
まだ言ってる…。
「もう大人やで汚さんのやって」と、言っておいた。

しゃあないなあ



自分は役に立ちたいと思って がんばっているつもりでも
周りから見るとバランスがとれていないときがある。

私の見えないところで、近くにいる人がいつも
フォローしてくれていて、ありがたいな。
いつもありがとう。

私はいつもまだまだで、ふところの深い人の手の中で
ころころ転がっていて、申し訳ないなと思いつつ
安心していられる。

大きさも広さも深さも 私にはないけれど
「任せて!」と言っちゃえる思いきりだけはあって
だから 周りにいる人は苦労する。

せめて「しょうがないなあ」と思わせる
愛嬌とひたむきさを 私は忘れたらいけない。

できるのではなく、できるつもりになっているだけ
ということを肝に銘じて 謙虚にいきなさいな。

おじゃまさせて



うんと年上のお友達がいる。
母と同じくらいとか、それより年上の人。

同じ匂いとか、同じいろとか感じて かわいがってくれるみたい。
粋な人が多い。
生き方とか趣味とか。まっすぐで 嘘がなくて しなやか。
私もあんな人になりたいなあと思って
「会いたいです」と言う。
近づきたい って思うの。

女の人がたくさん集まっている場所へ行くと
なんだか胸が熱くなって、泣けてくることがある。
すべてを包み込むような 母なるものを感じているのかな。

お盆の一日、年上のお友達の家におじゃませていただいた。
パンを焼いてくれた。
庭を見せてくれた。
たわいもない話をして、たくさんの野菜をお土産にもらった。
もうひとつのふるさとみたいだった。



びっくり、そっくり

車で国道を走っていたら、後ろの車に乗っていた人が
私とそっくりでびっくりした。
自分を見ているみたいやった。
私ってあんな感じ?なのかな。

知り合いのお子さんに、双子の赤ちゃんが産まれたそうだ。
双子って不思議。

左利きも不思議。
私とそっくりのあの人も左利きかな。
私が左利きなのは、ばあちゃんが左利きだからかな。
うちの会社には、妙に左利きがいっぱいいるなあ。
左利きの人には、妙な親近感を覚えるなあ。
だからばあちゃんは、私をかわいがってくれるのかな。

友達のお父さんが、私と同じ誕生日だった。
別の友達のお父さんと、私のお父さんの誕生日が同じだった。

眼に見えない縁は、確かにあるようだ。
きっとこの人とは縁が深い と思うのは、
懐かしい感じとか、ほっとする感じとか。
しゃべらなくても 分かってもらえてる感じとか。
分かっちゃう感じとか。
タイミング合わないときもあるけど、そんな人との
縁は ずっと続いていく気がする。

そっくりだったあの人とも またどこかで会うかもしれない。





みんなで寄ろさ



母の実家に兄弟家族が集まってのバーベキュー。
母の兄弟は仲が良い。
ちょいちょい「みんなで寄ろさ(集まろう)」と、なる。

母は家にいるときは 嫁だが
この兄弟の中にいるときは、妹になれるので 良いようだ。

かあちゃん(母の母)は、
皆のかあちゃんであり、ばあちゃんであり、ひいばあちゃんで
みんなかあちゃんの顔を見に来ているのだから
真ん中に座ってればいいのに
裏へ行っては、漬け物の様子を見たり せわしなくしている。

庭の世話は誰がするのかと聞いたら、このばあちゃんがしているらしい。
「みな ばあちゃんがするで、届かんとこまで伸びたら切ってまうんや」

小ちゃいばあちゃんサイズの木が並ぶ。

バーベキューすると準備やら後片付やら 家の人も大変やし、
外食した方が楽やけど
やっば、じいちゃんの仏壇のある家に 
みんなが寄ってご飯を食べるというのは いいものです。

と思いつつ、食べるだけ食べて来たので 
せめて今日の様子を写真に残し、
アルバムにしてばあちゃんに渡すことにする。

みんな元気でなによりです。

pinon-pinonにて



喜多村さんの器と京都から出張というコーヒー屋さんをめあてに
敦賀へでかけたのは先週のこと。

水晶浜、気比の松原と 浜は
いつもと全然違う顔で 人がいっぱい。
海水浴、花火、蛍… 風物詩を目にするたび
江戸時代に行ってみたいなあと思う。

自宅横の小屋に並べられた喜多村さんの器。
中庭ではもうすぐコーヒー屋さんが始まる時間のよう。

コーヒー屋さんは、夏休み少年をつれて
京都の美山からきていた。
丁寧にいれてくださったのは、ケニアとインドのコーヒー。

まるでね、時間を超えるみたいな気分になったの。
すーって。小説の中に入っていくみたいな。
そんな気になったコーヒーの味でした。

喜多村さんが作った小さな湯のみをひとつ買い、
笑顔で見送られて
またここへ帰ってきたいなあと 幸せな気持ちになった午後でした。